スプノー氏の後を継いだドドンさん…
3年間の任期を負えた私達家族の帰国のときまで、苦楽を共にすることとなる。
当時のマイカーは、1BOX-2000CC-ミッションタイプである。
TOYOTA製
キジャンが当時のインドネシアの国民車だった(同期に赴任した同僚のかなりがキジャンを選んだ)が、
私はいい選択をしたと思える。(そもそも人の真似をしたくないという気持ちもある)
車内スペースのゆとりが、幼子を同伴した私たちには、重宝したからだ。
赴任時、息子は4歳だった。
車の免許を取得したといっても、運転は素人である。
できるだけ本人を萎縮させぬように、後部座席から、ドドンさんの運転を見守る。
といっても、こちらも命を預けているので、言うべきは、はっきり伝え、修正を促す。
シフトチェンジも徐々に滑らかになっていく。
(当初は、セカンドでグーッツとアクセルを踏み込んで、かなり「引っ張って」サードに切り替えていたので、エンジン音も五月蠅く、乗り心地もいまいちだった。教習所もないし、車を所有している知人もそういないだろうから、実践を通じて習得するしかないのだ。主の私が、彼の練習用に、車を提供したということだ)
「内輪差」を意識した左折を習得させるには、少し時間もかかった。
車長も少しは影響したか。
左折時、左後輪を内側に寄せすぎるきらいがあったので、拙いインドネシア語で、修正法を繰り返し伝授したつもりだ。
本帰国の際、
※スカルノ・ハッタ空港までこの車で送り届け、
私達4人(
本帰国の半年前に娘が生まれ、家族は4人となった)
を、
その瞬間まで見送ってくれた最後のインドネシア人が、ドドンさんである。
Sampai jumpa lagi. 思い起こさずとも、万感胸に迫る。
※
スカルノはインドネシア共和国初代大統領。
第3婦人がデヴィ・スカルノ、すなわち
デヴィ婦人である。
スポンサーサイト