
息子がお世話になったジャカルタ日本人学校小学部のグラウンドのワンショット。
木の真下に影ができる頃合。
赤道のちょっと下、南半球に首都ジャカルタは位置する。雨季と乾季はあるが、毎日が真夏だ。
日中の日差しはやはり強烈で、頭の天コツから全身を射抜くように降りそそぐ。
小時間立っていれば、くらくらしてくる。
日中、日陰のないような屋外で活動する人間は、まずいない。その熱射の餌食になりたくないのは人情だ。
だが
根っからの馬鹿男の私は、帽子一つで、この街を、しかも日中(OFF TIMEに)歩き回っていたのだ。
今思えば、サングラスくらいしておけばよかった。
当時は紫外線の害悪など、現在ほど喧伝(けんでん)されてなかったはずだ。
歩くことそのものが好きだったし、歩くことで、この街を実感したかったからだ。
体内の水分量と発汗を天秤にかけながら、陽炎ゆらめくジャカルタ郊外の庶民の道をてくてくと…。
赤土のにおい、路上にゆらめく砂埃とかすかなフルーツの香り、ワルン(屋台)でもてなされる種々の出来合い料理、むんとしてなお食欲もそそる。横を駆け抜けるドアのついていない整備不良の乗り合いバス、目を転ずれば、粗末な小屋に色とりどりの洗濯物が、この街の風にゆったりと身をゆだねている。
気を抜くとバイク軍団の排気ガス攻撃、文字通りその後塵を拝すという憂き目に会う。彼らの多くはノーヘルで、マスク代わりのバンダナもどきで、口鼻を覆っている。(∵排ガス、粉塵対策)
たしかに私のように、バイク乗車時にフルフェイスでは、気温と排ガスと粉塵で、酸欠状態になりやすい。
一台に3人乗りもなんその、真ん中には幼子を挟んだりしている。

思うに、
わが身には事故など絶対に起きないと踏んでいるか、何も考えていないかのどちらかだ。
公害という概念もまだ成熟していないようだ。まずは国策としての経済優先ということか。
(
この点、同僚のインドネシア大学卒のインドネシアの才媛に、何度尋ねてもはっきりしたことがわからなったのだが…。当地にはゴミの分別などない。すなわち、放置または一括焼却では、ダイオキシン等の環境汚染や人体への悪影響は心配ないのかと私は尋ねたのだ。だが、kougai という言葉を理解してもらえなかった。単に私の説明が下手糞だったからかも知れぬが)
いずれにせよ、健康保持、公衆衛生、安全等に対する意識は、まだまだ低いといえる。
同僚のおっちゃんインドネシア人は毎日お決まりの一服で、コーヒーに砂糖をスプーン4杯てんこ盛り投げ入れて、至福の時間を過ごしていた。

そう、すべてが「
tidak apa-apa」=(
ティダアパアパ)=no problem で片づけられてしまう、これがインドネシアだ。
とってもお茶目な「
接しやすーい
」国なのだ。
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