BILA KU INGAT   忘れ残りのインドネシア

おとっつあんの忘れ残りの記

路上の少年イマム -13(完)-

イマム、カリヤント、ジャヤディ、ジャヤスマ、アブドゥル、主要な面々の名前だ。

イマムより年上の少年(中学生くらいか)も姿を見せるようになったが、私は常に、イマムを通じて仕事を依頼した。
あの夜に、最初に言葉を交わし、名前を教えてもらった少年が、イマムだったからだ。
その無邪気な童顔には、人を惹きつける力もあった。

いわゆる「ストリートチルドレン」の彼ら…。
(※参照:拓殖大学井上ゼミ-インドネシア研究- [物乞い]

聞くと、イマムは、夜限定の出稼ぎとして、家計を支えるため、
この日本人御用達の飲み屋街に出没しているのだった。
母も健在だ。学校もたまに通うらしい。

(訳あって家族と絶縁し、やむなく起居を路上に移している子供達、また「捨て子」等も路上には存在する。
この点イマムは、生活の大半を家族に依存しているストリートチルドレンのカテゴリーに属する。)

今頃、彼らはどうしているだろう。

イマムも私の豚児とそう変わらない年頃だ。

何かの縁で、再会できたらハッピーだ。

かの国の、かの街のどこかで、立派な青年へと変貌を遂げていることだろう。(?)

Pemuda harus berambisi   (≒ Boys be ambitious!)

私が幾度となく彼らにかけた言葉だ。

 イマムたちに、路上の子供たちに幸運を 



  (関連書籍) 石井光太は今注目しているノンフィクション作家である。
          先般TBS「情熱大陸」で、動く彼の人となりを見ることができた。
          アジアを始め、人が入らない未開の地べたを克明に追う作品群。
          多くの最下層、アンタッチャブル、マイノリティ、ストリートチルドレンも出てくる。
          ジャカルタを舞台とする小品もある。読むたびに私はイマムたちとの夜を思い出す。
          虚実の境目が朦朧としているが、その評価は読者に委ねられよう。 
          初期の作品は、文章力もけして秀でているとはいえないが、
          いかんせん採り上げる題材が秀逸で、着眼は鋭い。コロンブスの卵か。      
          
          「いつまでその髪型を続けるのだ? 石井光太!」
          「世界の名もなき庶民の姿を、もっともっと追ってくれ!石井光太」
          「君はまだ若い。頼んだぞ石井光太!」と常々私は願っている。


  

 

近著の「遺体」もなかなかに読ませる。








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路上の少年イマム -12-

この界隈での道案内、警護、タクシー拾い等を、私の必要に応じて、イマムたちに任せてみることにした。

仕事」を彼らに与えようと思ったのだ。

物乞いを、労働の対価としての報酬という形式に変換しようと。

無条件に「恵み」を施すこともしっくりこなかったし、
かといって、彼らのminta uanngを無下に退けるのも忍びなかった。

お金を得るには仕事をするのが当たり前である。
この飲み屋街で、私のために仕事を引き受けてはくれないか。相応の報酬は与えるから。

彼らは、この提案を嬉々として応諾した。



私は一宿一飯の恩義を感じていた。

窮地にあった徒手空拳の私を救ってくれたのは、事実、彼らだったからだ。

(彼らには、そのような意図はさらさらなっかたに違いない。偶々あの場で、あの時間帯に、
つれづれのボール蹴りをしていたら、訳のわからぬ日本人がたった一人で、闇の中からぬうと現れた。
引きつった顔をぶら下げて。
自分たちの輪に入れてくれと言うので、一緒にボール遊びをした。ただそれだけのことだ。
だがこの面妖な日本人との邂逅は、少なからぬインパクトをジャカルタの「路上の少年たち」に与えたのも確かだ。)

また彼らの自尊感情が育ってほしいと思った。
今は訳あって、物乞いに身を窶<やつ>していても、
時を得て、雄飛せんとする気概を持ってほしいと思った。

「事情が許せば学校に通い、学問を身につけること。
大人になれば、自分の力で、仕事をして生きていかねばならぬこと。
将来の夢をもつこと
自分に誇りをもつこと。ちいさな努力を積み重ねること。」

へたくそなインドネシア語で、常夏の夜空の下、
怪しく灯るネオンを頼りに、彼らを前にして、懸命に語る自分がいた。

彼らが望むのでいくつかの日本語も教えた。日本の街や文化についても。

路上の少年たちと語るこのひととき、今宵も心地よいことだ。


私の求めに応じ、イマムと愉快な仲間たちは、実によく働いてくれた。

赤手空拳の私を取り囲むように身辺警護をしてくれた。
彼らを共にして飲み屋街の薄暗い路地を歩く。
これが、私のちいさなSPだった。

そしてこのSPは頼もしかった。

万一、暗闇から私を狙う不逞の徒がいたとしても、彼らの存在が、その悪意を諌めてくれるだろう。
現地のいわゆる浮浪児に囲まれて、その界隈を楽しく闊歩する外国人など皆無だ。
好奇の目もあろうが、この日本人に対する現地の心証は、けして悪くはなっかたのだ。
彼らと共にいる以上、この歓楽街で、目立っても仕方ないと覚悟も決めた。
目立つリスクより、彼らが私の周囲にいることで得られるメリットが、大きかったからだ。

そしてなにより、最高に面白かったのだ。彼らとの遊びや語らいのときが。

彼らと戯れるジャカルタの夜、痛快至極なり。

店を出ると、彼らがすうっと馳せ参じ、私を囲み、誘導してくれる。
依頼すると、通りまで出て、タクシーを招き入れてくれる。
仕事の内容に応じ、報酬としての小銭を、彼らの手に握らせる。


つづく…

路上の少年イマム -11-

爾後、飲み屋街でのイマム達との語らいが、私のひそかな愉しみとなる。

彼らはお決まりのように、日本人酔客に近寄っては、声をかけ小銭をせびる。
ダメもとは百も承知のアタックだ。

無視を決め込む、要求どおりに金を恵む、ムッとして追い返す、足を止めない、酔客の応対も様々だ。
子どもとはいえ、そんなエリアの道端で、数人に寄ってたかられ、足止めを食らわされるのだから、
煩わしいのは確かだ。

足が止まると、目立つのだ。

この状況で目立つということは、治安上も、好ましくない。
世界広しといえども、Japanブランドの認知度は言うに及ばず。
(日本人はお金を持っている。情が深く、心優しい。そして隙がある。)
何百人もの野心と、権謀術数が蠢くこの界隈では、目立たないということも、
あらゆる悪意を予防する自衛の作法なのだ。

店店が活況を呈する時間帯でも、ひとつ通りを隔てれば、暗闇があり、
そこに有象無象が怪しく呼吸している。
「あそこ光っているネオンの店に向かおう」と、歩き始めたはいいが、
往路のあまりの暗さと不気味さに、私は幾度も断念したことがある。油断はできぬ

あの夜の恩義を少なからず感じていた私は、はてどうしたものかと思案した。

無条件に「恵み」施すことの是非はこれ如何に。

私は、イマムとの間に、ひとつの契約を結ぼうとの思いに至った

つづく…

路上の少年イマム -10-

同じ飲み屋街の道端で、数日後にイマムと再会した。

同じ年頃の仲間と共に、そこにいた。

暗さのため、あの夜には判然としなかった彼らの風貌が、今宵は少し色づいて見える。

粗末なシャツ。土埃にまみれた素足。華奢で小さな体躯。皮脂に固められた頭髪。

人懐こい顔つき。くっきりした瞳。
それを見ると、少しばかり、心が救われる。

(当時彼は9歳くらいだったと思う
このあたりが当ブログ「忘れ残りの記」である所以である。記憶は風化する。
過ぎ去りしジャカルタの心躍る日々。
私は当ブログで、頭と心にある残光の一片を、手繰り寄せながら、
寄木細工のように再構築しているにすぎない。
そう備忘録として。
かの国にお世話になった人間として、そう、「語り部」としての責めを果たさんがため。
インドネシアやインドネシア人、ジャカルタという街、その魅力を一人でも多くの方に
知らせたいという思いは確かにあるのだ。

1999年5月1日、深更にイマムと出会ったが、<参照:路上の少年イマム -3-
この日付が特定できるのは、たまたま、私があの夜のことを日記に記していたからだ。
もう少し多くの写真やビデオ、紙上記録等、残しておけばよかった。今となって思う。
デジカメも出たばかりで、当時はFuji filmの150万画素のものが10万円くらいした。
今は昔」の、ガラケー(ガラパゴス・ケータイ)の機能にも完敗するが。
技術の日進月歩、時の流れとはそういうものだ。
新し物好きの見栄坊の私は、それをジャカルタまで持参したが、ほとんど使用しなかったのだ。
もったいないの極みだ。

その日々がどれほど輝いていたか。時が過ぎて実感できるのだ。
もう少し、あの時、あの瞬間を、その価値の重みを感じながら、真剣に生きたかったなと。)

彼らは私のことを覚えていてくれた。

私に気づき、すりすりと寄ってくる。

再会の喜びを表しながら、先日のお礼を述べ、私は握手を求めた。

照れくさそうに応じたイマムは、
そして…
Minta uang  ミンタ ウアン」と言う。
minta uang  (意訳:お金を恵んでください)
卑屈さも邪気のかけらもない行為だった。


不定期に、どっぷりと日の暮れたこの飲み屋街に、彼らはやってくる。
通りすがりの日本人や韓国人(めったにいないが)に声をかけ、情けを受け、わずかばかりの「恵み」を得んがため。

再会の喜びにしばし浸りたかった私は、イマムの言葉に少し興ざめしたが、
このときは、小さな手の中に、小銭を与えた。
「みんなで分けるんだよ」との言葉を添えて。

イマムは笑顔で、飾り気のない謝意を私に述べた。

つづく…

路上の少年イマム -9-

拙いインドネシア語で語りかけた、正体不明の外国人の私を、
彼らはごく自然に受け入れてくれたのだ。

サッカーボール蹴りの輪に私も入る。

どんな言葉をそのとき交わしたのだろう。

今となっては、記憶の彼方だ。

ただ言えることは、彼らと出会い、彼らとサッカーをすることがなければ、
あの夜のピンチを脱し得たかどうかということだ。

そのくらいに私はテンパッていた。ただならぬ恐慌に陥っていた。

現地の子ども達の輪に入れてもらい、サッカーボール遊びをすることが、
結果的に、安心感や、身の安全という恩恵を、私にもたらしてくれたのだ。

この輪の中にいる限りは、私は一人ではない。

私は、見知らぬインドネシアの少年達に囲まれている。

守られている

私には、彼らの小さな黒い姿が、百万の軍よりも心強く感じられたのだ。
彼らの発する人懐こいオーラは、なんという温かさだ。
大の大人が、彼らに抱かれているような錯覚に陥る。

その中の一人がイマムだった。

ありがたかった。

ボールを蹴り返していると、徐々に心が落ち着いてくるのがわかった…。

ヘッドライト一閃

シルバーバードタクシーの黒塗りの車体が、近づいてくる。
こんな所で待つ日本人なぞいるのかと、訝しがるように。


異国の街の片隅で、

ストリートチルドレンの彼らと、

サッカーボールを蹴ったあの夜。

モノトーンの映画の1カットのように、私の心に蘇る。      

路上の少年イマム -8-

その時だ。

…何かしら聞こえる。

ぽつりぽつりと、しじまを破るかすかな音。

目前の狭い空き地に、目を凝らすと、地べたを何かが動いている。

かすかにしか見えない。が、確かに白くて丸いものが、一定のリズムで、右往左往している。

恐る恐る何歩か歩を進めた。ようやく音の正体が判別できる。

地べたを行き来していたのは、粗末なサッカーボールだった。

暗闇にぼうっと、小さな人影が現れる。

2,3人のいわゆる浮浪児が、この暗闇の中、ボール蹴りをしていたのだ。

この瞬間私は助かったと思った。

恐怖や脅威の対象ではなかったからだ。

起死回生の機縁を感じたからだ。

先方は、深夜に、この場に佇む一人ぽっちの日本人の姿を認めて、どう思ったことだろう。

危地を脱する縁<よすが>とばかり、祈るような思いで、私はゆっくりと彼らに近づいた。

つづく…

路上の少年イマム -7-

孤独と恐怖が体内に充満してくる。

本当にシルバーバートは来てくれるのか。
にしても、さすがにこの暗闇のなか、一人で路上に突っ立っている状況は危険だ。
日本人の飲み客の姿があれば、きっと救いを求めたと思う。

酒気を帯びた頭にえいえいと活を入れる。
善後策を捻り出す一刻一刻、さらに辺りは暗くなる。

先ほどまで輪郭を残していた灰色の雑居ビルも、夜の帳に同化している。

決死の覚悟で、このエリアを飛び出して
(実際は足元も覚束ない暗さなので、勇気を振り絞っても、忍び足になるだろう)、
通りのタクシーを拾える千載一遇に賭けるか。
通りに出れば、この場の暗黒よりましな、何かしらの光源があるだろう。

だが、通りに出るまでの幾ばくかの距離が、あまりにも不気味なのだ。

いかんせんこの暗さ。夜目が利かない。
伝家の宝刀、視力2.0を発揮できない。(眼鏡さえあれば視力など関係ないのだが…)

何が潜んでいるかわからない。

見えない恐怖がこれほどとは。
この大都会の一隅、屈指の飲み屋街ですら、自らの明かりを落とすと、
そう、日本なら、人里を離れた山の中のような暗さになるのだ。

蛮勇に支えられた私の漫画のごとき武勇伝もここまでか…。
甘かったな…。
この青二才が

自身を罵倒しながら、恐怖と闘う。

疑心暗鬼、百鬼夜行、四面楚歌、五里霧中、周章狼狽、絶体絶命、戦々恐々、
弱肉強食、因果応報


やばい。やばい。MAXやばい。怖い。進退ここに窮まった!

SOS!  

(つづく…)


路上の少年イマム -6-

先輩と別れた私は、なぜか「締めの締め」に、単独でもう一軒の飲み屋に入ったのだった。
このあたりが我が身の単細胞だ。
酔っていたのか、ジャカルタ特有の魅惑の風にやられたのか、今となっては定かでない。

少しだけ飲んだ。

シルバーバードタクシー
(高級で、運賃も高いが、現地では数少ない、比較的信頼がおけるタクシー会社とされていた)
を店付近につけるよう、店員を通して、電話で依頼した。
ラストオーダーのジントニックを軽く呷って、勘定を済ませる。後はタクシーを待つばかり…。

が、待てど暮らせどやってこない。

そのうち店が閉まる。
店を出、一人ぽっちのタクシー待ちを余儀なくされる。

周囲に淡い光彩を放っていたネオンが、またひとつ消えていく。
さすがにこの時分まで飲んでいる日本人はいない。
主を待つソピルも、その車も、ほとんどその姿を消している。

この飲み屋街で働く何百という人間が、商売服を脱ぎ、普段の顔にもどる。
暗闇のなか、次々と送迎バンに乗り込み、やれやれ帰宅の途に就く。
熱気と喧騒と怪しい興奮に包まれていたこの一画から、水が引くように、人気がなくなっていく。
手のひらを返すように、夜のしじまと暗黒が支配する不気味な空間に変貌を遂げる。

私は阿呆のように、呆然とその場に立ちすくんでいた。
動けなかったのだ。

この場でタクシーを待ち続けるか、他の帰宅方法を捻出し、それにトライすべきか。迷ったのだ。

この日本人御用達の、飲み屋街における、いわばセオリーを、まだ体得していない時期だったからだ。

つづく…

路上の少年イマム -5-

友人と飲むときはよい。飲んでつぶれても、最悪同乗させてもらい、彼のソピルが、
私を自宅まで送り届けてくれるだろう。

だが冒険心を抑えられない私は、
この街で、何を、どこまで、自力でできるのか」いつも試していた。
一人で何かをやり遂げるたびに、興奮し、その喜びに浸るのだった。
おおくの苦い思いも経験した。
だが、この、いわゆる「ジャカルタ単独チャレンジ譚」は、
多くの外国人が知らないこの街の素顔を、私に晒してくれたのだ。
そのたびに、この国と、この街に魅入られていく。

例えば、「Jakartaバイク行」、
また、「No plan、単独徒歩でいくジャカルタ行」等、
けして日本ではできない体験だ。世界観、人生観に、地殻変動を起こされるがごときの。
発見と驚愕の連続、血沸き、肉踊る
夜の街を、単独で探求するのも、その一環である。


酔っ払った日本人が深夜の街で、しかも単独で、車という最後の盾もなく、
フラフラしているというのは、自ら危地へ足を踏み入れることだ。
悪意のある現地人からすると、完全に「カモだ。

つづく…

路上の少年イマム -4-

ようやく通りに出て、幸便にタクシーを捕まえられたとしても、気は抜けない。
その時分に、この界隈を「流している」タクシーに、安心を期待するのは無理がある。

運ちゃんに対する人間洞察は肝要だ。信頼できる男か。知らぬ地へ連れていかれて、蛮行に及ばれたら、
手も足も出ないからだ。(事実そういう事件に巻き込まれる邦人がいた)
安全運転に対する過剰な期待もできない…。

事実、私達家族3人は、猛スピード、決死のタクシードライブを、赴任当初に体験させられていた。
あの運転手は痴れ者か、さもなくば、イスラム教徒にはあるまじき泥酔者か。

夜だったし、荷物も多く、幼子もいた。それゆえ、追突事故の恐怖と闘いながらも、
一旦乗車した以上、他の代替策が採れなかったのだ。無事帰宅できたのは幸運だった。
当地の先達に、空港からの、安全なタクシーの乗り方を伝授してもらっておけばよかったのだ。

たったそれだけのことだ。

不案内の外国では「情報が命」であることを痛感した出来事だった。
後から聞くと、いたって簡単で確かな方法だった。

それなのに、生来の偏屈で、妙にプライドの高い私が、その労を惜しんだのだと思う。
我が身の愚かな特攻精神と、人に頭を下げて教えを請うことを厭う狭量さを、恥じるしかない。

妻と息子に、不要の恐怖を味わわせたことを、この場を借りて深くお詫びいたします。

ただ、息子の方は車中爆睡していたので、身も凍る夜のジャカルタドライブを知る由もないのだが

…これらを事前回避するスキル、クリアーする自信と力がいるのだった。

酩酊一歩前、まさしく「寸止め」、これぞ侍魂というものを見せねばなるまい。
そんな気負いが、心にいつもあった。

これは結構なハンディだった。

つづく…


路上の少年イマム -3-

1999年5月1日、深更。

Jakarta南部の日本人向けの飲み屋街。

勤務先の先輩と締めのラーメンを食べて、11:30。

そのときに先輩の車に便乗させてもらい、帰ればよかった。
私のソピル<運転手>はその場には無論いない。
行きはタクシーを使ったか、スプノーさん(初代ソピル)に「送り」だけしてもらい、
「もう帰っていいよ」と、早々と勤務を解いたのかも知れぬ。

当時、このパターンも多かったと記憶している。
残業を嫌がるソピルは、本当に厄介だ。
飲みに行くのはよいが、帰りの足が覚束ないのだから、単独の場合は、真底まで酔えないのだ。

「ボッタクリ」に対する警戒(勘定の際の請求書をチェックする理性を残しておく必要があった)、
カード詐欺に対する用心(同僚がこの一画の飲み屋で、実際に被害にあったこともあり、私は
夜の街では一度もカードは使わなかったが)、貴重品を盗られぬ(なくさぬ、落とさぬ)ための態勢維持。

店を出ても、単独無防備で夜の街を歩く際の、周囲への目配り、気配り。

この際には視力を筆頭に、己の状況把握力を恃むのだ

アルコールの快楽に身をゆだねながらも、
一歩店を出たら、五感の最後の一線を、フル稼働させる。

つづく…


路上の少年イマム -2-

主である私が飲みに行くとなれば、運転手がその送迎を担うのが当然だ。

「最後の一杯」を終えて、飲み屋を出ると、運転手が地べたに座って、自家用車の駐車位置からそう遠くない場所で、待機している。
遠見で私の姿に一瞥<いちべつ>をくれると、すぐさま立ち上がり、車を当方の横につけ、やれやれ帰宅の段となる。
(それにしてもスプノーさんの視力はかなりのもんだと思った。ネオンはあるとはいえ、薄暗がりのなかで、よく当方の姿を判別できるものである。アルコールが回ってキョロキョロあたりを探す私より先に、彼の方から、ここにいますよと手を振ったりする。当時私も、視力だけは自信があった。酔いのリスクがあるので、視力に対する自信がなかったら、夜の街を、単独で馬鹿みたいに歩けるはずもない)

ここ日本人向け飲み屋街のあちらこちらで、主を待つ運転手仲間が、暗がりの中、おしゃべりもしながら、ひしめいているのだ。このエリアには軽食の屋台もあるので、待機の合間に、夜食を済ます者もいる。

当家の初代運転手スプノーさんは、このような残業を好まない人だった。
無論夜間の残業代は割高で、その上チップも弾むのだが、(生計維持や故郷に残した家族への仕送り等で、残業や休日出勤を望む運転手も多いなか)彼の背には、「早く家に帰りたい」オーラがめれめらと揺れ、こちらが恐縮する始末。

なぜ主の私が使用人に気兼ねしないといけないのか。悶々としながらも、赴任一年目は、彼に当職をやめていただこうなぞ、思いもよらなかった。解雇にはかなりのエネルギーを要す。それに退職金の支払いは別段、不要の「逆恨み」を買うリスクもある。使用人の解雇をめぐるいざこざは、聞くに及んでいた。
解雇される方も、糊口をしのぐ瀬戸際だ。わが身の至らぬはさておいて、この屈辱、怒りをどこへもっていこうかとなる。ふざけんなこの日本人。最後の一撃とばかりに、物品を失敬して出たり、不逞の徒を屋敷に招き入れるなぞ悪事の導きをしたり…。(家屋敷の造りや鍵の位置、家族構成や生活スタイル等、使用人はその多くを知っている。解雇しなくとも、いわれなき「逆ギレ」は要注意だ。心を尽くしてこちらの事情を説明し、納得を得、やめていただくしか途がない。使用人といえども、平素から人としての敬意をもって接するなかで、信頼関係を築く努力が肝要だ。)

解雇できたとしても、適当な後継の運転手がすぐに見つかる見込みもない。
この街で、外国人が、自家用車での移動ができないとすれば、「足」を奪われたのと等しい。
となると、私の採るべきは、夜間の外出をやめるか、単独で夜間の飲み街に繰り出すかの二択だ。

結句私は後者を選択した。数少ないストレス解消だったからだ。
単独、タクシーで出かけることが増えた。(友人の車に便乗することもあるが)
このような偶然が重なり、あの夜に、イマムと出会うことになる。
つづく…

路上の少年イマム -1-

路上の少年イマム
彼との出会いは1999年。
日本人向けの飲み屋街で物乞いをしていた。


ジャカルタの街中で、信号待ちをしていると、
雲霞<うんか>のごとく車窓に近寄ってくる面々…。

新聞、茶菓、玩具等の物売り、
楽器を奏でる者、へたくそな歌を披露する者、窓洗いをさせてくれと言ってくる者、
洪水による渋滞をこれ幸いと、勝手に交通整理をしている若者たち、
浮浪児、老人、身体障害者等。

物売りは有用なこともある。だがそれ以外は、金という「恵み」を得んとする人たちである。
イスラム教では、富める者が、そうでない者に、喜捨するのは当然と考える。
インドネシアは世界最大のイスラム国家だ。

時には後部座席の窓ガラスを最小限に開けて、そっと「恵み」を与えることもある。
だが通常は、心の痛みを少しは感じながらも、見ないふりをした。
停車時だと、車窓にへばりつくように、執拗に「恵み」を要求してくる輩<やから>もいる。
際限がないからだ。
窓ガラスを開けることで、不測のアクシデントを呼び込む虞<おそれ>もあるからだ。

日中ならともかく、夜間に人通りの少ない地点で、信号待ちをしている時は、やはり心穏やかでない。
「恵み」を当然のごとく要求してくる輩も、薄気味悪いが、いわゆる「パンク強盗」には警戒した。
夜間に、アイスピックのようなもので、停車中の車をパンクさせる。ドアを開けたのを幸便に、車中から物品を奪うのだ。その時分、邦人の被害が、総領事館から報告されていた。

ジャカルタの夜道は、暗い。
この大都会にして、いかんせん街灯自体が少ない。郊外だとなおさらだ。
(夜間の徒歩なら、すれ違う人の顔すら判別しづらい)
中心街の高層ビル群やデパート、ホテルの多彩なイルミネーションと、
複線を疾駆するヘッドライトの流線の魅惑は、この暗さの恩恵かも知れぬ。

夜道で、車が動かなくなる事態を、私は恐れていたといえる。
車があれば、とりわけ運転手がいればまだ心強い。
この街が暗闇に浸る時間に、地道を、しかも外国人が一人で歩くのは、危険だ。

親譲りの無鉄砲で子どもの頃から損ばかりしている私は、
深更、不覚にも、そのような窮地に陥った。

その時、進退窮まった私を救ってくれたといえる…

その少年の名がイマムだった



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プロフィール

あぱあぱ

Author:あぱあぱ
アラフィフ ♂
〇社会福祉士取得

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