BILA KU INGAT   忘れ残りのインドネシア

おとっつあんの忘れ残りの記

納車日に転倒、ほうほうの体で帰宅-2-

  

日暮れ時、そして雨。
視界が悪く、縁石の存在に気づくのが遅すぎた。

上着が大きく引き裂かれ、左腕の擦過傷からは血がにじみ出る。
このとき負ったこの傷跡はいまだに消えない。

ヘルメットのおかげで救われたと思う。
左半身がじんじんと痛むが、なんとか歩ける。
怪我よりも、バイクの傷みの方が気になった。
新車がいきなりボロボロになってしまった。
ボディーは傷だらけ、ミラーは根こそぎぶっ飛び、クラッチペダルは折れ、車軸に歪みがある。
このショックはでかかった。

幸運だったのは、クラッチペダルも、左足のつま先でなんとか動かせたこと。
そして、バイクがよろけながらも、前に進んだことだった。

怪我の傷みと闘いながら、無様な格好で、死に体のバイクにまたがって、のろのろと帰路に着く。

調子に乗っては痛い目にあう。
これまで何度繰り返したことだろう。

あの惨めな帰り道、私はほんとうに泣きそうになっていた。

ヘルメットの向こうの視界がぼやけるのは、

雨季に入ったジャカルタの気まぐれな夜の雨のせいなのか。

こんな自分がとことん情けなくなったジャカルタの夜道である。

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納車日に転倒、ほうほうの体で帰宅-1-

  

-1999年10月15日(金)- 
SUZUKI サンダー GSX250 無事納車完了。
価格は1,850万ルピアだった。
新車なので日本で買うより格段に安い。
ジャカルタの現地ディーラーは、感じのよい若い日本人の方だった。

この佳き日に、バイクで滑って転倒し、
怪我をするあたりが、罰当たりな私の真骨頂だ。

ピカピカのバイクでジャカルタの地道を早く駆けたくてたまらなっかたのだろう。

私はいかなるときも少年のような純なハートの持ち主なのだ。

納車後、JJSJakarta Japanese School/ジャカルタ日本人学校)へ寄ったその帰り、
その構内の縁石にタイヤが乗り上げてしまう。

雨季の夕刻(かなり夜に近い時間帯だった)、しとしと雨が降り出していた。

さあ帰るぞ!
調子に乗って、アクセルを吹かした直後に、車両と身体のバランスを失った。
こりゃやばいぞと半ば他人事のように思いながら、
左に傾いた体を、バイクごと路面にぶち当ててしまう。

バイクでジャカルタ3

20060429111522.jpg

私のような通常の外国人が、
この街で自ら車のハンドルを握ることの危険性はいうまでもない。
無防備のバイクとなるとなおいっそうである。
運転手頼みの生活が日常となっている私にとって、
バイクに乗ることは未知への挑戦であり「デビュー」の心境であった。
エアコンのきいた後部座席の窓越しから見るジャカルタの街とは別世界だった。

まず気をつけたのが街路のコンディションだ。
路側の未整備や欠落はまだましだ。
通常の走行帯にもアスファルトの陥没がままあり公然と放置されている。

「ポリシティドゥール」
(道路の表面が波のように隆起している箇所、人工的に造作している、緩衝ポイント)は、
走行中の一定のスピードでは認識しづらく、こちらの反応が遅れれば、
車体も前に吹っ飛ばされそうになり、何度も肝を冷やした。

休憩ポイントをいくつか確保しておくことも必要だ。
車・車・車の波にいったん飲み込まれたら、いやがおうでもそれに身を任すしかなく、
次にどのタイミングで、どこでバイクから降りて休憩できるか予測が難しいからだ。
まして運転新参者は、地理や方向に疎く、一方通行やUターンポイントがつぶさにわかるわけではない。
「思えば遠くへ来たもんだ」どうやって家まで帰ればいいのだろうと焦ることもある。

真上から直射する日差し、
猛烈な排気ガスと粉塵(喉と鼻を守るためマスク代わりのバンダナを巻いているバイクの運転手も多い)、
無秩序で、ある意味暴力的な交通事情に対抗すべく、運転者には体力と精神力が要る。
実際、この街で日中にバイクを運転するにはかなりの体力と気力を消耗した。
わずか1時間、市街地を走るだけでも相当疲れるのだ。
日本なら1時間も走れば相当な距離だ。
ジャカルタの市街地では、単位時間当たりの走行距離がとてつもなく短い。

フルフェイスのヘルメットは、日本人だと気づかれないという意味では良かったが、
日中は痛いくらいの日差しを脳天から受けるからさすがに暑く、息苦しい。
全身から汗が噴き出す。路面から漂う埃くさい乾いた熱風が追い討ちをかける。  
いたたまれずどうにか安全な場所を見つけて停車する。
不慣れな地域なら、日陰がある適当な場所を見つけるのも一苦労する。
道端のワルンでテーマニスを買って水分補給、
メットを脱いで、マイルドセブンを一服、ようやく腰も伸ばせる、さすがにこの瞬間はたまらない。

バイクでジャカルタ 2 

三十歳になったばかりの青二才の自分にも、「Tuan(トウアン)」と呼んでくれる運転手がいた。
我が家の初代運転手、その名をスプノーという。
運転手は妻子にとっても頼るべき存在であった。
生活のまさしく「足」であり、有事の際の「盾」ともいえた。

同乗して公道へ出た瞬間から運転手とは運命共同体だ。
ジャカルタの街中で展開される漫画のような珍事件、冷や汗たらたらの交通状況、
猛烈激変の自然と天候、頻出するハプニングに、この無力な日本人が頼るのは、
運転手の経験と人間力であるからだ。
外国人がこの国で暮らす上で、彼らの存在は欠かせない。

反面、自力でこの街に繰り出したくなる自分がある。
タクシーやbus(バス)、バジャイも便利で楽しいが、危険は承知の上で「自力」を試したくなる。

この街で、バイクに乗り始めて、大げさでなく私の「世界」が大きく広がった。

バイクでジャカルタ1 -さすがにいない- 

この街でバイクにまたがっている日本人を見ることはめったにない。

ジャカルタの交通事情は凄まじい。
後部座席の窓越しからでも、手に汗握る光景にまま遭遇する。
乗用車と整備不良の乗合バス、バジャイ、
おっちゃんカブ、タクシー、そのわずかな間隙を縫って急ぐ人々。

有象無象が、喧騒と無秩序、粉塵と排気ガスの中に活路を見出さんとする。
朝夕のラッシュ時は戦場だ。
道路の未整備とバンジール(洪水・冠水)、標識も信号もあまりあてにはならない。
事故時の対処が一介の外国人にできるわけもなく、
また夜盗や理不尽な集団に囲まれたら手も足も出ない。無論警察官もあてにならない。
そもそも警察官を見かけることがほとんどない。

その上にこの暑さと気の遠くなるほどのマッチェット(渋滞)だ。
この街で車の運転をするのは大げさではなく命がけである。
通勤は当然、ちょっとした買い物でも、車での移動に多大なエネルギーが要るのである。
さいわい赴任中わが家族は交通事故には遭わなかった。

そして生来の無鉄砲と調子にのりやすい性格がここでも顔を出した。

私はこの街でバイクに乗りたくなった。

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